Ah, but I was so much older then,
I'm younger than that now. |
日々憤りを感じるニュースは星の数ほどありますが、
少し前に話題になった『地毛証明書』は呆れましたね。
平成になって30年経とうとしているのに、
こんなこと未だに言ってる人って、
80年代からやって来たタイムトラベラー?
何?黒髪直毛の人以外は日本人じゃ無いとか?
・・・日本は「おもてなし」の国なのだそうです。
時代は単純に前進するものでも無いのかもしれませんが、
30年前のあの頃と今じゃ全く違いますよ。
みんな必死にタバコ辞めようとしてるし、
仕事は普通に週休二日だし、
18になったらすぐ免許取って車買う若者も少ないだろうし、
20代で結婚する人がいたらヒクほど驚かれるだろうし(笑)
宗教や国籍、人種はもちろんのこと、
発達障害、トランスジェンダーなどなど、
知る機会はあの頃に比べて格段に増えているはずなのにね。
自分が差別に対して清廉潔白だとは申しませんが、
どちらかというと僕は昔から異形なもの、
「ストレンジャー」「エイリアン」「変人」に憧れています(笑)
心の奥底で『普通が一番』とか思いながらも、
尖った人々に惹かれ、懐かしさよりも斬新さを好みます。
極論に聞こえるかもしれませんが、
自分以外はみんなエイリアンですよ。
だって日本人なら全員と分かり合える?
同じ地域出身者なら全員と友達になれる?
血縁者なら意見が対立することなんてない?
そんなことないでしょ。
最近気付いたのですが、他人を厳しく責める人は、
自分がいかに優れてるかを認めて褒めてもらいたいだけなのね。
僕も我が人生を振り返り、猛烈に反省いたしました(笑)
ぼんやりしているうちに今年も残り約1ヶ月。
2016年はどんな年だったかと言われれば、
大物ミュージシャンが数多く逝った年ではないでしょうか。
ということは、僕はとても幸運な時代を生きたとも思えます。
先日WOWOWで見た『第31回ロックンロール・ホール・オブ・フェイム』では、
今年逝った3人のミュージシャンのトリビュートが行われました。
デヴィッド・ボウイ:"Fame" デヴィッド・バーン、 キンブラ & ザ・ルーツ
グレン・フライ:"New Kid in Town" シェリル・クロウ with グレイス・ポッター
プリンス:"While My Guitar Gently Weeps"
プリンス with トム・ペティ、 ジェフ・リン & ダーニ・ハリスン
(2004年 ロックンロール・ホール・オブ・フェイムビデオ映像)
プリンスだけオリジナル曲じゃないので、
「おいおい…」とも感じましたが、
この映像の持つ不思議な物悲しさに、
とても感慨深いものがありました。
彼ら以外にもジョージ・マーティン、モーリス・ホワイト、
ナタリー・コール、キース・エマーソン、P・F・スローン、
アラン・トゥーサン、冨田勲、レナード・コーエン、
そして、レオン・ラッセル。
全員の音楽に思い出があります。
小学校6年生の時に僕が初めて買ったシングルレコード
カーペンターズの『プリーズ・ミスター・ポストマン』
B面に収められていたのがレオン・ラッセルの、
『マスカレード』のカバーでした。
『ヘルプ』の時は『アイム・ダウン』
『キャント・バイ・ミー・ラヴ』の時は『ユー・キャント・ドゥ・ザット』
『涙の乗車券』は『イエス・イット・イズ』などなど、
『マスカレード』は、シングルを買うたびに、
A面よりもB面の曲が好きになる僕が最初に出会ったB面曲です。
(現在「B面」という言葉は死語となってしまいましたが…)
レオン・ラッセルというと、
カーペンターズが好んでカバーしていたというのもあるのですが、
やはり印象深かったのはジョージのライブ映画、
「バングラディシュのコンサート」でしょうか。
これも小6から中1までの頃に見ました。
DVD化された時に知ったエピソードで、
ボブ・ディランが「ハード・レイン」を夜の部で、
なんの前触れもなく3拍子で演奏したことに、
リンゴ・スターとレオン・ラッセルが超焦ったエピソードには笑いました。
子供の頃に僕が目をキラキラさせながら見ていた、
憧れのミュージシャン達は、
絶対に手の届かない宇宙の彼方に輝く、
まさにスターでした。
しかし、自分がこれだけ年を重ねると、
一人一人をひとりの人間として見つめ直すことができます。
先日テレビにユーミンが出ていたのでぼんやり見ていたら、
彼女のこのような言葉が紹介されておりました。
『成功』とは虹のようなもの
遠くから見ると とても美しいけれど
近くまで辿り着くと
そこには ただ雨が降っているだけ
人生2番目か3番目に買ったシングル『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ 』のB面は、
『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』でした。
ジョージ・ハリスンもカレン・カーペンターも、
デヴィッド・ボウイもプリンスもレオン・ラッセルも成功とは真逆の、
たくさんの苦しみを抱え 生き抜いたのだと思います。
みなさま大変お疲れ様でした。
そして僕に 素晴らしい音楽をいっぱい ありがとうございました。
前回の投稿で「ピーター・バラカン氏の本を題材に語りたい」と、
予告していた本『ロックの英詞を読む──世界を変える歌』。
僕がこの本を題材にして語りたかったことの一つは、
Stevie Wonderの"Love's In Need Of Love Today"の、
オススメのカバー収録アルバムとして、
Joan Osorneの"How Sweet It Is"を取り上げていたところでした。
このブログを始めて2回目の投稿から何度も話題にした、
僕の大好きなJoan Osorne。
先日の土曜日なんとなくTwitterを眺めていたら、
Joanが日本科学未来館の写真をアップしており、
あまりの不自然さに「もしや!?」と検索してみると…、
来日してたんですね。それもその日がライブ初日!
お昼になるかならないかだったのですが、
慌ててチケットを予約、
(実際はクレジットカード決済だったから苦労しました)
アメリカに行かなきゃ絶対に見られないだろうと思っていた、
Joan Osorneの歌が生で聴けるなんて!
あまりの興奮と都会に来た緊張でとち狂い、
ほとんどやったこともない自撮りに挑戦(笑)
後で気づいたのですが、なんかうまく撮れないと思ったら、
「スクエア」にしてたから自分の顔が全部入らなかったのな。
ライブは東京丸の内にある「COTTON CLUB」にて、
キーボーディストのKeith Cottonという方と、
アコースティックディオで行われました。
COTTON CLUBでKeith Cottonって…、
偶然なんでしょうけど。
自由席だったにもかかわらず、
ど真ん中の前から2番目の席に通され、
手が届くほどの目の前でJoanが歌ってくれるという、
夢にも思わなかった最高の経験。
Bob Dylanを3曲、プリンスの”Little Red Corvette"、
Mavis Staplesに影響されて作った新曲など、
アコースティックディオということを全く感じないほど、
深みと壮大さを備えた、
想像以上期待以上の素晴らしいライブでした。
また、Keith Cottonという方の伴奏が素晴らしいこと!
ホント何者なんですか?
(だってネットに全く情報がないんだもの)
意外かつ嬉しかったのは、
次の曲はガーシュウィンに影響を受けて作ったとか、
ボブ・ディランのファンが日本に大勢いることは知っているとか、
MCも普通にしていたことでした。
全てが理解できるほどの英会話能力は持ち合わせていませんが、
せっかく日本に来てもらったのでお話も聞きたいですからね。
いやほんとまだ信じられない。
あの「これぞアメリカンミュージック」というJoanが、
僕の目の前で歌っていたなんて…。
まぁ…ちゃっかり一緒に写真撮ってもらったり、
CD買ってサインしてもらったりしてるんですけど。
恥ずかしくて握手はしなかった。俺バカ。
ああ…でもあれだな。いくら慌てていたとはいえ、
何が起きるかわからないから、
髪をとかしてから出かけたほうがいいな(笑)
今更ですが、この人ほど様々なディランの名曲を
新たな解釈でカバーしている人を僕は知りません。
1stに収録されたDylanの"Man in a Long black Coat"
2ndの"Make You Feel My Love"
Jackson Brownと歌った"My Back Pages"
Dylan本人と共演した"Chimes of Freedom"
いつ聴いても何度聴いても心に染みます。
また、彼女のおかげで僕は沢山の名曲を知ることができました。
"What Becomes of the Brokenhearted"
"At Last" "Do I Ever Cross Your Mind"
"Why Can't We Live Together"
"Nobody's Fault But Mine" "Ain't No Sunshine"
いつもの通り挙げればキリがありません。
そして、以前から知っていた曲であっても、
彼女が歌うと、とても新鮮で深みを増して感じられます。
僕は足繁くライブに足を運ぶような人間ではありませんが、
中学の時に初めて見た武道館のBob Dylanから、
先日のJoan Osborneまで、
素晴らしい音楽に生で触れたことは、
一生の宝物になることでしょう。
稀代の歌姫Amy Winehouseの、
短い生涯を綴ったドキュメンタリー映画、
「AMY エイミー」を観て参りました。
生前の彼女の歌声に打ちのめされていた僕は、
2007年に日本版Rolling Stoneでインタビューを読み、
破滅的な彼女の未来を予感していたような気がします。
彼女に宿った才能という化け物に翻弄される姿、
純粋で弱く傷つきやすい少女だった生身のエイミーの姿、
そして、彼女を最後まで愛しく想い続けた友人たち。
美しくも悲しいドキュメンタリー映画でした。
映画の中盤あたりから、
彼女の友人の一人であるかのような錯覚に陥り、
どうしたらこの娘を救えるのか悩み苦しみ、
最後はわかっているはずなのに涙が溢れます。
特にグラミーを受賞した瞬間の彼女の顔は、
大御所のような歌声のそれとは正反対の少女のようで、
僕の心を大きく揺さぶりました。
少し前の話になりますが、
僕は「花束を君に」を聴く度、
感動で泣きそうになります(笑)
映画「AMY エイミー」と同様、
愛する家族や友人を想う気持ちを描いた、
優しさと悲しみに溢れた素晴らしい歌だと思います。
真面目に語ってきて突然こんなこと言うのも申し訳ありませんが、
先ごろ突然引退表明をし、このブログでも何回か話題にしたモス・デフが、
映画「AMY エイミー」にデビュー当時からの友人ということで出演していたのですが、
いつの間にかヤシーン・ベイ(Yasiin Bey)という名前へと改名したそうな。
覚えにくい名前に変えるのやめちくりっ!と思いました。
次回は、この映画の字幕監修をしていた、
ピーター・バラカン氏の本を題材に語りたいと思います。